Douglas DC-4
アメリカ国内の急速な航空輸送需要にこたえるため、DC3より大型な輸送機を望む米国5大航空会社(UA.AA.Eastern.Panam.TWA)とダグラスの共同開発により、1938年にDC4-Eが初飛行した。しかし、機体が大きすぎる事、新しい技術が未消化な事が受け入られず、この機体は戦前の日本に売却され技術資料となる。ダグラスではDC4-Eとは考え方を変えた機体を開発し、1942年に初飛行にこぎつけ、この機種がDC-4/C-54となった。ダグラスらしい堅実な設計の機体は信頼性も高く、軍用、民間合わせて約1200機生産され、近代輸送機の標準型となり、DC-6、DC-7に続くダグラス4発レシプロ黄金時代の基礎となった。イラストは1952年から1964年まで日本航空で使用していた元C-54Eである「白馬」。日航では50年代の国内線主力機として合計11機を保有していた。座席数64〜69、巡航速度190kt。駐機時に機体尾部を支える支柱もあった。 |